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奥能登の豊かな自然の中で日々の徒然を認めています


by kaizouin
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4月は京都に、、、

 前回の日記から、1ヶ月以上経ってしまいました。この間、人生最大のドタバタを経験し、未だ疲れが取れずにいます。

 年度末の決算、新年度の準備に追われていた4月5日、昨年10月から入院していた父の容態が悪くなり、集中治療室に入ったと連絡がありました。ゴールデンウィーク頃には退院し、それに合わせ、車椅子で生活できるように実家マンションをリフォームする見積もりを立ている最中でしたので、寝耳に水の出来事でした。

 この時点では、命に別状があるわけではなかったのですが、いつでも京都へ帰省できるように、年度末の決算、新年度の書類準備等、徹夜で仕上げておりました。そんななか、6日お昼頃、父の容態が急変したので、すぐに帰って来て欲しいと連絡が、、、慌てて帰省の準備をし、夕方奥能登を発ちました。

 7日午前零時半、父の入院する病院に着きました。そこには、体中が浮腫み、目も閉じる事が出来ず、「痛い」「何で」「どうして」を連呼する変わり果てた父の姿が、、、父も、退院に向けてリハビリを頑張っておりました。突然の変化に、父も無念だったのでしょう。

 8日金曜日、主治医からは「今週いっぱいです」と宣告されました。金曜日に今週いっぱいですと言われても、、、姉もわたくしもうろたえました。「えっ?お葬式?」「どうしたらいいの?」と姉から聞かれ、、、わたくしも親の葬儀ははじめてです。ともかく、脳梗塞を起こし、痴呆となり、施設に入所させている母と最後になるかもしれない面会をさせました。

 しかしながら、その後、奇跡的に回復し、「お腹がすいた」「おにぎり」「パン」等と言うようになり、食事もゼリー等が出されるようになりました。主治医からも「もう大丈夫」と言われました。

 わたくしは18日月曜日から、知恩院の御忌法要に出勤しなければならなかったので、17日日曜日、朝から散髪屋さんで頭を剃ってもらいました。お昼に見舞いに行った時は、寝てばかりおり、看護婦さんが「睡眠薬が残っているのかもしれない」と言っていたので、別段気にもしておりませんでした。しかし、、、

 夕方、父の意識が無いと呼び出されました。姉と二人で付き添いましたが、18日月曜日午前4時26分、この世を去りました。さすがに息を引き取った時は「ウッ」ときましたが、その後の慌しさに、父の死を悲しむ間もありませんでした。

 生前からの父の希望で、18日午前中に父の遺体は病理解剖されました。その間、葬儀屋さんの手配をし、午後からは父を実家に迎え、役場に死亡届を提出し、葬儀屋さんと打ち合わせ、、、20日が友引でしたので、20日通夜、21日告別式となりました。

4月は京都に、、、_a0072808_2535816.jpg 通夜には、同じマンションのお友達、父が皆さんと一緒に立ち上げた『年輪クラブ』メンバー、中国語教室の仲間、東京から駆けつけてくれた親類、さらには、父の好きだったパン屋さんのご夫婦が、父の死を偲んでくれました。小人数ながら、何とも言えない、温かい通夜となりました。

 翌21日午前10時より告別式。その後、親族だけで火葬場に行き、実家に戻り、取骨と初七日取り越しのお勤めをしました。実は、生前からの父の希望で、わたくしが葬儀を勤めました。喪主と導師の一人二役、さすがに疲れました。その日は、知らない間に、ソファーで寝ておりました。

 翌22日金曜日は、土日を控えていたので、姉と二人で役場関係の書類の提出、返却物等手分けして処理しました。二人とも疲れていたのですが、やれる時にやっておかないと、と言う気持ちに突き動かされておりました。

 4月29日は母の誕生日でしたので、姉と二人でケーキを買って、母の誕生日を祝いに、見舞いに行きました。実は、母には父の死を知らせておりません。最後となるかもしれないと面会させた後、母は相当動揺したそうで、とても目を離すことが出来なかったそうです。母の主治医に葬儀に参列させたいと相談したのですが「どうなるか分からないから、止めた方が良い」との返事を頂きました。父は母の心の中で生き続けてもらうことにしました。

4月は京都に、、、_a0072808_3132844.jpg 生前から「葬儀にはこの写真を使え」と言われていた父の遺影です。この格好で、太秦映画村の前を歩いていたら、観光客から「俳優さんですか?」と声をかけられ、ご満悦だったそうです。大正生まれですが、身長が175cm以上ありましたからね。

 29日夜、母を見舞った日に、わたくしは京都を発ちました。さすがに疲れてしまい、未だ疲れが取れません。しばらくすれば、悲しみも湧いてくるのかな?未だに頭の中はドタバタが続いております。
by kaizouin | 2011-05-03 03:31 | 徒然