人気ブログランキング | 話題のタグを見る

奥能登の豊かな自然の中で日々の徒然を認めています


by kaizouin
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

仏弟子の告白 Ⅱ 1

 大学院入学と同時に得度し、僧籍登録も済ませた店主。ようやく、僧侶としての修行が始まりました。浄土宗教師(僧侶)となるには、宗門の勉強をしなくてはなりません。これが店主にとって、苦痛以外の何者でもありませんでした。

 無神論者の父、家庭に育った為、線香臭いことは父の田舎に帰った時に数えるほどしか経験がなかったのです。また、店主自身、線香臭いことが大嫌いでした。以前に申した通り、店主は仏教を「ダルシャナ」、哲学と捉えていましたので、所謂、宗教行事というものに否定的でした。

仏弟子の告白 Ⅱ 1_a0072808_2334133.jpg 加行(けぎょう)単位、最後の行を受ける為には、実践仏教学初級・上級という授業をとらなくてはなりません。要するに、お経の唱え方、木魚や鐘等といった鳴り物の叩き方、歩き方、立ち振る舞い等を習います。それはそれで学ばなくてならないことだと理解はできるのですが、実際の授業は、、、

 「ハイ、〇〇ページをあけて。〇行目、間違いです。×××に直してください」

 当時、テキストに使われていた『浄土宗法要集』、誤植だらけだったようです。でも、それだったら正誤表を渡せば済む話。授業が苦痛で、苦痛でたまりませんでした。

 また、実践仏教学と「学」が付くからには、学問でなくてはなりません。学問であれば真理の追究です。でも、お経の唱え方が真理の追究になるのだろうか?民俗学的見地からすれば、学問として成り立つだろうが、、、ハッキリ言って、そのネーミングにも不満でした。

 イヤ、こうやって昔の事を思い出しながら書き綴っていると、よく、まぁ、浄土宗教師としての資格がとれたものだと思います。実践仏教以外にも、何度レポートを提出しても“不可”しかくれなかった授業がありました。今思い出そうとしても、何の授業だったのか、思い出すことが出来ないのですが。

 画像右は当時の『浄土宗法要集』です。左は現在のものです。
by kaizouin | 2007-11-27 23:06 | 仏弟子の告白